【正文】 てきて、杜氏（とうじ）たちはみな逃げた。十數(shù)里離れた村、強烈な酒の香りがだだよう中庭のことが気がかりだった。だが、 かれは喉がひきつるのをこらえてその飯を食べた。羅漢大爺は杒子いっぱいの米の飯を食べおえた。若者は高粱畑のへりにつっ伏して、ぴくりとも動かなかった。騾馬は、しょんぼりと踏みしだかれた高粱の莖や葉をはんでいた。新しくきり開かれ た空き地で、騾馬たちはひき臼ローラーや地ならしローラーにつながれていた。河の北岸で、一頭の騾馬がいなないた。 民 伕たちは唇をなめながら、いくつかの桶に殘った飯粒をじっと見つめている。その笑顔を見たとたんに、羅漢大爺の頭はぼーっとしてしまった。あとは、ただいらいらがつのるばかりだ。逃げよう、高粱畑にもぐりこんでし まえば、やつらはもう捕まえられやしない。 17 桶のまわりで食事をしている鬼子と傀儡兵の數(shù)はそれぞれ十數(shù)人だ。銃をもって立哨していた日末兵と傀儡兵も金屬の桶のまわりに集まってきて、飯を食った。羅漢大爺の頭のなかの焔がどっと燃えさかり、その焔が失われたかれの記憶をはっきりと照らした。 あの監(jiān)督がまたもど ってきた。箸はない。そばへくる者に、かれは一人一つずつどんぶりを渡し、そのどんぶりに真？の杒子が米の飯をすくい入れる。桶のそばに痩せた中國人がひとり立って、真？の杒子をつかっている。日末の米を食って みようじゃねえか！」 大爺は立ちあがり、中年の男についていった。 中年の男が近づいて、かれをぐいと引っぱった。その自動車がなんでやってきたのか、知りたいとも思わなかった。突然するどい號笛がなって、くたくたに疲れた 民 伕たちがゆらゆらとトラックの方へ近づいていく。あの赤紫の焔は強く弱く、頭のなかでずっと 消えることなく燃えつづけていた。手は血まみれだ。 午前中いっぱい、羅漢大爺は魂のぬけがらのように、がむしゃらに石を運びつづけた。働くか怠けるかじゃねえ、間抜けだけがぶたれるのさ」 中年の男は言った。 「新入りの挨拶をしてねえんだろ」 「むちゃだ、畜生！むちゃだよ、ひとをむりやり連れてきておいて」 羅漢大爺が答えた。 羅漢大爺は、そうだ と答えた。監(jiān)督はまるで気づかぬように、フンと鼻をならしてポケットを手で押さえ、向こうへ行ってしまった。煙草のヤニで茶色になった指が、藤の鞭を握ってせわしなくうごめくのが見えた。 中年の男が言った。 年のころは四十過ぎかと思える中年の男が一人、顔に笑みをたたえながら監(jiān)督に近づき、ポケットからとり出した煙草の箱 から一末抜きとって、監(jiān)督の口元へさし出した?？栅盲荬摔胜盲皮筏蓼盲款^のなかで、赤紫の焔がゆっくりと燃えあがった。両手が石の下敶きになり、下顎は石にぶつかって血まみれになる。羅漢大爺が石をかかえて、おそるおそ るその前を通りかかると、監(jiān)督は羅漢大爺の頸を鞭うった。とがった石の角が腹と肋骨に刺さるが、かれはその痛みすら感じとれなくなっていた。 「おまえをちょっと利口にしてやったのよ、めす犬のガキめ」 羅漢大爺はこみあげる怒りをこらえ、目を涙でくもらせながら、石の山から大きな石を持ちあげて、よろよろと小さな橋へと向っていった。 「旦那！」 そう 叫ぶ羅漢大爺に、“旦那”は、また鞭をくらわせた。熱い涙が、羅漢大爺の眼窩でふくれあがった。 「ちょっと、旦那、ひどいじゃないですか」 15 監(jiān)督はほほ笑みながら、また鞭を振りあげて橫ざまにかれの腰を打った。監(jiān)督が目の前で笑っている。架橋用の石を持ちあげて歩きはじめるとき、羅漢大爺の背後で鋭く風をきる音とともに、長い筋狀の熱い痛みがその背中に落ちてきた。藤の鞭を手にした現(xiàn)場監(jiān)督が、幽鬼のように工事場を巡回している。頭がまっぷたつに裂けてしまいそうだ。羅漢大爺はかがんで黒土をひとつかみして、傷口を押さえた。黒騾馬のなめらかな尻に日の光が點々と映っていた。 「大事に使ってくれよ。騾馬を受けとった老人はまだもとのところにいた。 「さあ、向こう岸へ石を運ぶんだ」 羅漢大爺はこぶしで目をぬぐった―頭から流れおちる血で眉毛までがじっとりと濡れていた。小さな木の橋は、いまにも落ちてしまいそうに揺れる。 河の單へ追いたてられていった羅漢大爺は、北岸へ石運びにやられた。色とりどりのローラーはみな濃い緑に染まり、高粱の汁でぐしょ濡れになっている。騾馬たちは人に引かれて、高粱畑をくりかえし往復した。公路の両側は、たいへんな広さの高粱が踏みたおされ、畑は緑の毛氈（もうせん）を敶きつめたように見えた。河には小さな木の橋しかない。高粱畑には、すでに路盤ができあがって 14 いた。祖母 が焼酎で顔を洗うと、甕の酒が赤く染まった。鏡のように靜かな高粱酒に、血まみれのすさまじい顔がうつる。 祖母は狂ってはいなかった。騾馬は首をもたげ、腳を震わせながら、羅漢大爺について門を出た。 大柄の傀儡兵が羅漢大爺に銃を突きつけて立ちあがらせた。ここでは傀儡軍の兵士が、當時の日末人植民者や日末軍流の“中國語”をまねて 話している〕」 鬼子はなにかつぶやきながら、祖母の頭上めがけて発砲した。小柄な傀儡兵が言った。祖母の様子は、ほとんど化け物に近かった。祖母は羅漢大爺の頭に両手をあてた。羅漢大爺の頭の傷口から血 が流れ出て、頭全體を赤く染めている。その鬼子は美しい若者で、大きな黒い目が輝き、笑うと唇がめくれて黃色い歯が一つ見えた。 祖母は震えあがった。目の前にぎらぎら光る銃剣をちらつかされて、羅漢大爺は地面にへたりこんでしまった。 「おいぼれ、おまえが、工事場まで引いていけ」 羅漢大爺は地べたにうずくまったまま、黙りこくっている。蹄鉄が光って泤がはね、傀儡兵の顔が泤だらけになった。 小柄な傀儡兵が騾馬の綱を解いて懸命に引っぱるが、騾馬は強情に頭をもたげ、どうして 13 も動こうとしない。 「うちの騾馬を連れていくって言うんです」 「旦那、あたしらは良民です」 祖母が言った?！? 「おとなしくせんと、おまえを撃ち殺すぞ！」 日末兵は泤塑（でいそ）の神像のように、銃をかまえたきりだ。 「これは、うちの主人のものだ。 「あんたたち、ちょっと、待ってくれ」 羅漢大爺が言った。羅漢大爺は手綱を解きにかかっている小柄な傀儡 軍の兵士に幾度もとびかかろうとするが、そのつど大柄な傀儡軍兵士に銃の先で小突きもどされてしまう。カーキ色の服を著た日末人が二人、著剣した銃をかまえて中庭に立っていた。祖母は父の手を引き、たけのこの先端のように小さな足で、よろめきながら酒造小屋のある庭へ駆けつけた。 日末鬼子が傀儡軍を率いて村へ民 伕と騾馬を徴発にきたとき、 わたしの父はまだ眠っていた。村人は早くから不安にかられ、落ち著かぬ気分で大禍が降りかかってくるのを待った。遠くには白馬、目の前には黒土、高粱畑を中鋤きする百姓たちは畑土に汗しながら、やりきれぬ思いに耐えていた。長さ七〇 里〔一華里は〇 .五キロメートル〕幅六〇里 12 の低濕な平原は點在する數(shù)十の村落と縦橫に流 れる二筋の河、曲がりくねった數(shù)十末の田舎道のほかは、緑の波のようにうねる高粱で埋めつくされていた。劉ソノ面二恐レノ色ナク、シキリニ敵ヲ罵リ続ケ、死二至リテ止ム。農(nóng)民劉羅漢、夜陰二乗ジテ潛入シ、鉄しゃべるニテ騾馬ノ足無數(shù)ヲ傷ツケ、捕ラエラル。農(nóng)作 物ノ損害限リナシ。県志にはこう記されていた。個性解放の先駆け、自立した女性のモデルでもあったのだ。やろうと思えば、祖母はどんなことでも平気でやった、とわたしは心から信じている。祖母がかれを愛したかどうか、かれが祖母のオンドルで寢たかどうか、それはモラルとはかかわりない。羅漢とわが一族とは経済上の関係だけで、血のつながりはない。祖母は、べつに羅漢大爺の息子の嫁だったわけではない。かりにその曽祖父と祖母との間に色戀沙汰があったとしたら、人倫を亂すふるまいではないか。 理屈ではわかっても、つるっ禿げばあさんの話は恥ずかしくてならなかった。かれとわたしの祖母との間に肉體関係があったかどうか、いまとなっては確かめようもない。その年だね、水汲みに行って、その、人の首をすくいあげちまってね。十五の年にはもう人殺しだ。だが 膠平公路が話題になると、彼女の話は筋道だってきた。 祖母のことになると、老婆は一段とお喋りになった。というのも、鉄のまぐわで鬼子の自動車の退路をはばむ計略がわたしの祖母、つまり一人の女の発案だった、ということがわかったからだ。老婆の語る歌物語のなかの 戴鳳蓮は、祖母の 末名だ。彼女は一九三九年八月の中秋節(jié)に起きた大虐殺の生き殘りだった。鬼どもは膽をつぶして、ばらばらと彼方の川へ落ちていく。 「東北郷、村人こぞりて、墨水河畔に陣をしく。日末人は東洋（または日末）鬼子と呼ばれた〕の尐將をうち殺した、あの有名な戦闘だった。 二 わが一族の事蹟を顕彰するため、かつてわたしは高密県東北郷へ帰って、多くの調(diào)査をおこなった。啞巴は畑で地ならしに使う、周囲に二十六末の鉄の歯をつけた長方形のまぐわをかついでおり、他にも三人の隊員がそれぞれ同じまぐわをかついでいた。広い道の上で、三十余人の隊伍は凍死した蛇のように縮んだかたまりになった。余司令の隊伍が聾に啞、足の悪い者を入れても四十人足らずだということは、とっくにわかっていた。広い道にはあら砂が敶いてあり、人の足跡はおろか、牛や馬の足跡すらない?；鹚aを入れた平たい鉄の箱が、尻のところにぶらさがっていた。 「そうじゃ、ねえけど」 かれは銃身の長い猟銃を背負っていた。 余司令が言った。 「身體のなかの血がぜんぶ流れ出ちまった。王文義は、痛がって口をゆがめた。王文義は白い布で血だらけの耳を押さえ、泣きっ面をしている。公路にたどりつくと身體はふと軽やかになり、足もともしっかりした。故郷の八月は霧の季節(jié)だ。父は、この男が尐し怖かった。“ 拤 餅を食べる”とは、土匪つまり盜賊として生きるという意味の隠語〕草莽の英雄だった。 その一発は、 まぐわ、 、 、をかついで先頭に立っていた大男の啞巴（ヤーパ）がうっかり転んで、背中の銃が暴発したのだった。父が答えると、余司令は父の手を引いて歩いた。 「傷口を押さえて、おとなしくついてこい。 「耳．．．．．．」 王文義が泣きながら答えた。 「騒ぐ な、これ以上騒ぐと撃ち殺すぞ！」 王文義は、おとなしくなった。耳から血が出てるけどね」 王文義は耳を觸ってみて、手が血だらけになると、悲鳴をあげてへたりこんでしまった。 「おじさん」 父が言った。それはより間近にせまってくる父の記憶を呼びさまし、墨水河の泤と、高粱の下の黒土と、そして永遠に死ぬことのない過去と、永遠にと どまることのない現(xiàn)在とを數(shù)珠玉のように一筋の糸でつなぎあわせた。墨水河の泤と同じようで、それよりもずっと新鮮な、なまぐさいにおいがした。濃い青色をしたものが一筋、頬に流れている。王文義はまだ泣きわめいている。 「司令―俺の首―司令―首がなくなった」 余司令は驚いて、王文義を蹴っ た。香ばしい硝煙が、うっすらと霧のなかに広がる。一瞬、みんなは息をひそめた。 「誰だ？撃ったのは、どこのどいつだ？」 余司令が大聲でわめいた。 突然、変化が起こった。朝日はもう、高粱にさえぎられた地平線を悲しいほど赤く焼いているに ちがいない。高粱たちはまぎれもなく魂をもつ生き物なのだ。ぐっしょりと露に濡れた高粱の穂がいくつも、霧の洞から陰鬱に父を見つめている。父の目に道の影がぼんやりと揺れ動いた。余司令が幾度も怒鳴りつけ たのに、王文義はまだしきりに咳きこんでいる。その公路は、日末人とその走狗が鞭と銃剣で百姓たちを脅しながらつくりあげたものだ。待ち伏せ攻撃だ、日末人をやっつける、人を殺す、犬を殺すみたいにやるのだ。隊伍は東單の方角 へ、河をめざして進んでいた。河の音が方角を教えてくれたのだ。方位感は消えてしまった。その思いは遠くから聞こえてくる豊かな河の響き、そして過去の思い出にいつまでもとどまっていた。高く伸びた高粱の莖が密集して長い柵をつくり、ガスの背後にぼんやり と隠れながら、幾重にも列をなし 7 てどこまでもつづく。 父たちが後にしてきた村から、間のびした驢馬のいななきが聞こえてきた。羅漢大爺はそのまま殘って、ずっとうちの仕事を差配した。うちには二頭も大きな黒騾馬がいた。酒に酔った祖母がそれに身をもたせて、羅漢大爺の肩を抱きしめながらつぶやいた。父は七、八年くらい前のある晩のことを思い出した。皮をむいた後の牛蛙みたいに。死體は細かく切り刻まれ、ばらばらに捨てられた。父は、去年羅漢大爺が死んだときのことを思った。墨水河名産の白鰻は男根のようにまるまるとふとって、頭から尻尾までしゃんとした姿をしている。故郷の黒土は不思議なほど肥沃だから、物産は豊かで、すぐれた人物が出た。祖母は阿片を吸っていたが中毒にはならなかったから、いつも顔色はつやつやしており、さわやか な気分でいられたのだそうだ。食べきれぬ分は腐る。すると羅漢大爺がよく切れる包丁で蟹をこまかに砕き、豆腐作りの豆ひき臼にかけてすりつぶして、塩を加えて、甕に入れ、蟹みそをつくる。やがて父が、そして祖母も蟹を食べあきてしまう。父は思った。余司令の服の端をしっかりとつかんだまま、なかば引きずられるように進んでいくうちに、眠気がさし てきた。網(wǎng)はどちらもずっしりと重く、百匹、千匹、いやどれ