【正文】 強してるわけだよね。「民族學だって東洋史だってなんだって良かったんだ。 挪威的森林 2020425 17 その答は彼を混亂させた。僕だって殆んど聞いたことはない。 「演劇」と僕は答えた。たしかに地図づくりに興味を抱き熱意を持った人間が少しくらいいないことには――あまりいっぱいいる必要もないだろうけ れど――それは困ったことになってしまう。 「僕はね、ち、ち、地図の勉強してるんだよ」と最初に會ったとき、彼は僕にそう言った。掃除は全部彼がやってくれたし、布団も彼が干してくれたし、ゴミも彼がかたづけてくれた。冗談のつもりで言ったのだが、みんなあっさりとそれを信じてしまった。僕がヌード寫真を貼ると「ねえ、ワタナベ君さ、ぼ、ぼくはこういうのあまり好きじゃないんだよ」と言ってそれを はがし、かわりに運河の寫真を貼ったのだ?！袱ⅳ飚惓Ｐ愿瘠坤琛工缺摔椁涎预盲?。偶の同居人が病的なまでに清潔好きだったからだ。みんな洗 濯物をどんどんベッドの下に放りこんでおくし、定期的に布団を干す人間なんていないから布団はたっぷりと汗を吸いこんで救いがたい匂いを放っている。風が吹くと床からほこりがも挪威的森林 2020425 15 うもうと舞いあがる。 男ばかりの部屋だから大體はおそろしく汚ない。大抵の部屋の棚にはトランジスタ？ラジオとヘア？ドライヤーと電気ポットと電熱器とインスタント？コーヒーとティー？バッグと角砂糖とインスタント？ラーメンを作るための鍋と簡単な食器がいくつか並んでいる。入口の左手に鉄製の二段ベッドがある。気にするのは僕くらいのものなのだろう。夜のあいだだってちゃんと國家は存続しているし、働いている人だって沢山いる。ただし順序は朝とはまったく逆になる。 「さざれ石のお――」というあたりで旗はポールのまん中あたり、「まあで――」というところで頂上にのぼりつめる。中野學校がローブに旗をつける。中野學校がテープレコーダーを掲揚臺の足もとに置く。朝の六時、ラジオの時報が鳴るのと殆んど同時に二人は中庭に姿を見せる。そうとしか考えようがない。名前も知らないし、どの部屋に住んでいるのかもわからない。この人物は陸軍中野學校の出身という話だったが、これも真?zhèn)韦韦郅嗓悉铯椁胜ぁ鞉鲹P臺は中庭のまん中にあってどの寮棟の窓からも見えるようになっている。どうしてそんなうさん臭いところに二年もいたのだと訊かれても答えようがない。彼の説によればこの寮の出身者で政財界に 地下の閥を作ろうというのが設立者の目的なのだということであった?！附逃胃鶐证蚋Fめ國家にとって有為な人材の育成につとめる」、これがこの寮創(chuàng)設の精神であり、そしてその精神に賛同した多くの財界人が私財を投じ……というのが表向きの顔なのだが、その裏のことは例によって曖昧模糊としている。至れり盡挪威的森林 2020425 12 せりだ。本部建物 のとなりには三つめの寮棟がある。開け放しになった窓からはラジオの音が聴こえる。 コンクリートの舗道はそのけやきの巨木を迂回するように曲り、それから再び長い直線となって中庭を橫切っている。敶地は広く、まわりを高いコンクリートの塀に囲まれていた。なにしろ布団と電気スタンドさえあればあとは何ひとつ買い揃える必要がないのだ。東京のことなんて何ひとつ知らなかったし、一人ぐらしをするのも初めてだったので、親が心配してその寮をみつけてきてくれた。 そう考えると僕はたまらなく哀しい。僕の中で彼女に関する記憶がいつか薄らいでいくであろうということを。結(jié)局のところ―と僕は思う―文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかないのだ。その最初の一行さえ出てくれば、あとは何もかもすらすらと書いてしまえるだろうということはよくわかっていたのだけれど、その一行がどうしても出てこなかったのだ。既に薄らいでしまい、そして今も刻一刻と薄らいでいくその不完全な記憶をしっかりと胸に抱きかかえ、骨でもしゃぶるような気持で僕はこの文章を書きつづけている。こぅして記憶を辿りながら文章を書いていると、僕はときどきひどく不安な気持になってしまう。そして我々は殘りの道を二人で並んで歩いた。僕はその二、三歩あとをついて歩いた。 彼女はそのまま何も言わずに先に立って歩きはじめた。とても嬉しいし、とても――救われるのよ。 「じゃあ私のおねがいをふたつ聞いてくれる？」 「みっつ聞くよ」 直子は笑って首を振った?！竷Wは頭の良い人間じゃないし、物事を理解するのに時間がかかる?！袱ⅳ胜郡騻膜堡毪膜猡辘悉胜盲郡巍５坤紊悉摔舷膜谓Kりに死んだ蟬の死骸がからからに乾いてちらばっていて、それが靴の下でばりばりという音を立てた。私はバラバラになっ て――どこかに吹きとばされてしまうのよ。そんなこと言ってもらったって何の役にも立たないのよ。肩のカを抜けばもっと體が軽くなるよ」 「どうしてそんなこと言うの？」と直子はおそろし く乾いた聲で言った。僕らは収支決算表を睨んで生きているわけじゃない。「いつか終る。そんなの人間関係とも呼べないでしょう？ そしてあなたはいつか私にうんざりするのよ。 「だって誰かが誰かをずっと永遠に守りつづけるなんて、そんなこと不可能だからよ。それは――」と言いかけて直子はふと口をつぐみ、そのまま歩きつづけた。 挪威的森林 2020425 7 「あなたがそう言ってくれて私とても嬉しいの。それから彼女は背のびをして僕の頬にそっと頬をつけた。僕も立ちどまった。たとえば今こうしてあなたにしっかりとくっついているとね、私ちっとも怖くないの。ただわかるの」直子は僕の手をしっかりと握 ったままそう言った?！袱扦獯笳煞颏?、あなたは。そして上の方には光の円がまるで冬の月みたいに小さく小さく浮かんでいるの。そうするとこのへんの人は言うの、あれは野井戸に落っこちたんだって」 「あまり良い死に方じゃなさそうだね」と僕は言った。 落っこっちゃったらどうしようもないじゃない か」 「どうしようもないでしょうね。でもそれが何処にあるかは誰にもわからないの。 「それ は本當に――本當に深いのよ」と直子は丁寧に言葉を選びながら言った。身をのりだしてその穴の中をのぞきこんでみても何も見えない。まわりには柵もないし、少し高くなった石囲いもない。実際に目にしたわけではない井戸の姿が、供の頭の中では分離することのできない一部として風景の中にしっかりと焼きつけられているのだ。 彼女はそのとき何の話をしていたんだっけ？ そうだ、彼女は僕に野井戸の話をしていたのだ。しかしハンブルク空港のルフトハンザ機の中で、彼らはいつもより長くいつもより強く僕の頭を蹴りつづけていた。痛みはまったくない。そして風泉だけが、その十月の草原の風景だけが、まるで映畫の中の象徴的なシーンみたいにくりかえしくりかえし僕の頭の中に浮かんでくる。まるで夕暮の影のようにそれはどんどん長くなる。 挪威的森林 2020425 4 でもそんな風に僕の頭の中に直子の顔が浮かんでくるまでには少し時間がかかる。これはたぶん僕と直子がいつも並んで歩いていたせいだろう。僕が手にしているのは人影のない背泉だけなのだ。我々はいったいどこに消えてしまったんだろう、と僕は思う。それらはあまりにくっきりとしているので、手をのばせばひとつひとつ指でなぞれそうな気がするくらいだ。まわりの風景に気持を向ける余裕なんてどこにもなかったのだ。正直なところ、そのときの僕には風景なんてどうでもいいようなものだったのだ。歩きながら直子は僕に井戸の話をしてくれた。その他にはどんな物音もなかった。空は高く、じっと見ていると目が痛くなるほどだった?！?I hope you‘ ll have a nice trip. Auf Wiedersehen?。à瑜び眯肖颉? 「大丈夫です、ありがとう。 飛行機が完全にストップして、人々がシートベルトを外し、物入れの中からバッグやら上著やらをとりだし始めるまで、僕はずっとあの草原の中にいた。 「本當に大丈夫？」 「大丈夫です、ありがとう」と僕は言った。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混亂させ揺り動かした。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。純而又純的青春情感，百分百的戀愛小說。悲歡戀情、如激弦，如幽曲，掩卷猶余音顫裊；奇句妙語，如泉涌，如露凝，讀來真口角噙香。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を著た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、 BMW の広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。そしてそのメロディーはいつものように僕を混亂させた。大丈夫、少し目まいがしただけだと僕は答えた。失挪威的森林 2020425 2 われた時間、死にあるいは去っていった人々、もう戻ることのない想い。 前と同じスチュワーデスがやってきて、僕の隣りに腰を下ろし、もう大丈夫 かと訊ねた。よくわかります）」彼女はそう言って首を振り、席から立ちあがってとても素敵な笑顔を僕に向けてくれ た。何日かつづいたやわらかな雨に夏のあいだのほこりをすっかり洗い流された山肌は深く鮮かな青みをたたえ、十月の風はすすきの穂をあちこちで揺らせ、細長い雲(yún)が凍りつくような青い天頂にぴたりとはりついていた。まるで別の世界の入口から聞こえてくるような小さくかすんだ鳴き聲だった。まっ赤な鳥が二羽草原の中から何かに怯えたようにとびあがって雑木林の方に飛んでいくのを見かけただけだった。とくに印象的な風景だとも思わなかったし、十八年後もその風展を細部まで覚えているかもしれないとは考えつきもしなかった。おまけに僕は戀をしていて、その戀はひどくややこしい場所に僕を運びこんでいた。とてもくっきりと。直子もいないし、僕もいない 。そう、僕には直子の顔を今すぐ思いだすことさえできないのだ。まず橫顔が浮かびあがってくる。まるで澄んだ泉 の底をちらりとよぎる小さな魚の影を探し求めるみたいに。最初は五秒あれば思いだせたのに、それが十秒になり三十秒になり一分になる。ちょうど僕 がかつての僕自身が立っていた場所から確実に遠ざかりつつあるように。痛みはない。他の何もかもが結(jié)局は消 えてしまったように。僕は何ごとによらず文章にして書いてみないことには物事をうまく理解できないというタイプの人間なのだ。でも直子がその井戸の話をしてくれたあとでは、僕ほその井戸の姿なしには草原の風景を思いだすことができなくなってしまった。大地にぽっかりと開いた直徑一メートルばかりの暗い穴を草が巧妙に覆い隠してい る。小さな緑色挪威的森林 2020425 5 のトカゲがそんな石のすきまにするするともぐりこむのが見える。そして穴の中には暗黒が ――世の中のあらゆる種類の暗黒を煮つめたような濃密な暗黒が――つまっている?！副井敜松瞍い?。「どこかに深い井戸がある、でもそれが何処にあるかは誰も知らないなんてね。人が急にいなくなっちゃって、どれだけ捜してもみつからないの。聲を限りに叫んでみても誰にも聞こえないし、誰かがみつけてくれる見込みもないし、まわりにはムカデやクモやらがうようよいるし、そこで死んでいった人たちの白骨があたり一面にちらばっているし、暗くてじめじめしていて。だからちゃんとした道を離れちゃ駄目よ」 「離れないよ」 直子はポケットから左手を出して僕の手を握った。そしてこうしてあなたにくっついている限り、私も井戸には落ちないの」 「絶対に？」 「絶対に」 「どうしてそんなことがわかるの？」 「私にはわかるのよ。理屈とかそんなのじゃなくて、ただ感じるのね。 「それ――本気で言ってるの？」 「もちろん本気だ」 直子は立ちどまった。そんな一対の美しい瞳が長いあいだ僕の中をのぞきこんでいた。 「どういたしまして」と僕は言った。それはひ どいことだからよ。 「どん